2011年04月03日

ロシアでもピリピリな原発問題

 ロシア語のページをふらふらとネットサーフィンしていると、日本関連のニュースが多いことに驚きます。特に、原発問題に関しては、かなりピリピリしていることが伺えます。4月2日付けのРБКの記事には、サハリンやハバロフスク、カムチャッカなどの極東地域における放射能濃度について書かれていました。それによると、今のところ、超過的な数字は観測されていないとのことでした。加えて、この日に、日本から3機(モスクワ、クラスノヤルスク、ハバロフスク着)の航空機と、4隻の船がロシアに到着し、87人の乗客、78人の乗務員、1トンの荷物、すべてから異常な数値は観測されなかった、とありました。

 もう一つ、コムサモールスカヤ・プラヴダのネット記事では、“フクシマはチェルノブイリに匹敵する”というコメント付きで以下のような動画が紹介されていました。

 

 海外でも、この福島原発の問題が大きく取りざたされていますが、それは、「隣国」であるロシアからすれば、なおさらのことでしょう。原発への深刻な懸念以外にも、すでに、実際に日本の海産物の輸入禁止の見通しが立てられています。日本では、さまざまな議論が飛び交っていますが、このような海外の動きというのは、ある意味では「客観的な」指標となると思うのです。
 
もっとも、日本でも議論、というか情報の虚実がさっぱり分からない状況です。それを抑えるための動きがいよいよ始まっているようで、気象学会の理事長が放射性物質の予測の制限をかけたりネットでのデマの摘発を始めたりと、緊迫さは増しています。

 ちょっと、今までに無い日本の状況に、正直面食らっております……。

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posted by Itta Tojiki at 16:14| Comment(0) | ロシアの社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月02日

スマートフォン

 昨日、とうとうスマートフォンを買ってしまいました。ちょうど今まで使っていた電話が2年経ったので、換え時だったのですが、時代の潮流にあわせてスマートフォンを手に取ることになりました。

 これまでタッチパネル形式の電子機器を使ったことが無かったので、操作にはいまだに四苦八苦しています。もっとも、使っていけば慣れていくとは思うのですが……。

 と、スマートフォンのことを考えていると、ふとモスクワのことを思い出します。モスクワでは、スマートフォンを持っている人たちが多かったような印象を受けました。特に、若い人たちの携帯電話は、ほとんどがそれであって、よく地下鉄や街中で画面とにらめっこしながら、パチパチ押している人を見かけました。また、スマートフォンでの通話は、イヤホンを耳にさし、小型マイクで話す人も少なくは無いので、夜に一人で道端を歩いているときに、すれ違うロシア人が普通に歩いたまま声を発しているのに驚くこともありました。自分に話しかけてきているんじゃないかと。

 地下鉄の風景を思い浮かべていると、電子書籍を手にとって読んでいる人も多かったことも思い出しました。おそらく、彼らのほとんどは、「キンドル」を使用していたと記憶しています。

 モスクワという街は、思ったよりも電子機械に関しては、進んでいることが印象的でした。さすがは、大規模な国際都市だな、と思ったしだいでした。

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posted by Itta Tojiki at 14:16| Comment(0) | モスクワ回想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月01日

「ソ連に行ってたとよね?」―「ばあちゃん」との会話

 帰国してからずいぶんと身の回りが落ち着いてきたので、日本でお世話になっている人たちに帰国報告をはじめています。今日は、僕の祖父母の代から家族ぐるみの付き合いをしている一家のところへ電話をしました。すると、僕が「ばあちゃん」と親しみをこめて呼んでいる方が出てくれました。
「あら〜、帰ってきたとねーー(帰ってきたんだね)」
と懐かしい声がしました。

「え、ソ連のシベリアに行っとったとかね?(行ってたんだっけ?)」
「(笑)いえいえ、首都のモスクワですよ。」

 大正から昭和へと時代が流れるころに生を受けた人にとって、ロシアとはソ連のことであり、大方のその世代の人たちにとってのソ連とは、シベリア、を思い浮かべるのでしょう。

ナホトカとかには行かんかったとね?(行かなかったの?)」
「いえいえ、あっちは日本寄りなので、行ってないですねー」
「ふ〜ん、あんね、私の身近な人たちは、みんなナホトカから日本に帰ってきたとよ」

 シベリアに抑留されていた日本兵の多くは、ナホトカの港から帰国したといいます。やはり、その世代の人たちと、僕らとでは、ロシアに対するイメージはずいぶんと違うのでしょう。多くの年配の方たちは、決してロシアに対して良い印象は抱いていないと聞きます。留学してロシアに好感を持っている僕のような人にとって、このことは留意しなくてはならないことだと思います。日露関係で、多くの日本人が苦しんだ時代はさほど昔ではない、ということを、あまり気にも留めていなかったことは、恐ろしいことです。その人の穏やかな語り口に、大いなる反省を強いられました……。

話は続きました。
「……、まあね〜最近ちょっと日本は大変やけどね……。ただまあ、これまでの日本人は、苦労知らずでちょっと幸せ過ぎたのかもしれんね……。もちろん、幸せに越したことは無いんやけど、そればっかりでもいかんと思うとよね……。」
「……」
「大正、昭和から戦争を知ってるもんからすれば、今の状況とかは何とも思わんけど、今の人からしたらたいそうなことじゃろうね(たいそうなことだろうね)……。」

 人生の大先輩の言葉は、穏やかだけれど重い。重すぎる。海外を見てきて、今の日本についても何だかんだと言って、ある意味では「有頂天」にさえもなりつつあった僕は、大いに反省しなければならない。10分余りの電話での会話は、「頭にハンマー」くらいの衝撃だったのでした。

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posted by Itta Tojiki at 20:27| Comment(0) | 教訓 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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