2011年09月23日

北極に海路を!!

 前回の更新の後、インターンシップとやらで1週間ほど立て込んでおりました。僕も、大学3年なわけで、これから「シュウカツ生」なのです。自分自身としっかり向き合え、かつ社会的な自分の立場を自覚できる、絶好の機会だと思って、やりがいを持って就職活動には取り組もうと思っております。
 インターンシップは1週間という短いものでしたが、自分の知らない世界、社会人の世界が垣間見られたような気がして、非常に刺激的に感じているしだいです。

 と、個人的な話は置いておいて、ロシアネタに入ります。少し、気になる記事を発見しました。

ロ首相、北極海航路発展へ大号令 インフラ整備推進2011年9月23日 09時50分
 【モスクワ共同】ロシアのプーチン首相は22日、ロシア北部アルハンゲリスクでの国際会議で、同国北方の北極海航路をスエズ運河並みの世界の物流の大動脈へと発展させるため、インフラ整備などを進めるとの大号令をかけた。インタファクス通信などが伝えた。
 気候変動により、夏の北極海航行が容易になりつつある中、首相は「北極海航路は料金、安全性などの面で(スエズ運河経由の)伝統的な物流ルートに対抗できるようになる」と強調。
 北極海航路を利用すれば、欧州北部から東アジアへはスエズ経由より距離を大幅に短縮できることもあり「企業は経済的に大きな利益を得られる」と訴えた。


 北極に、巨大なインフラ事業の登場と見てもよろしいでしょう。ビジネスとしてロシアを見た場合、今後、不凍地域の氷が解けるようなことがあれば、存分に開拓しがいがあるのです。ロシアには、「手付かず」の部分がかなり存在するのです。

 社会人の人と話すときに、自分自身を「ロシア」という切り口で紹介すると、多くの方が、今後のロシアビジネスの話をします。つまり、中国だ、ブラジルだ、言っておりますが、まだまだロシアも突き進んでゆく余地が十分にあるのです。
 
 このような話は、もはや常識的な説とはなっていましたが、紹介した記事のような、具体的な案件が出てくると、いよいよか、と構えてしまうものです。ロシアビジネス、まだまだ始まったばかりなのかもしれません。

 ただ、ロシアという国は日本を含めた外国資本が入っていくには、何かしらの困難がついてくるそうです。例えば、極東でのガスパイプライン事業「サハリン2」は、その典型的な問題が起こった経緯がありました。これについては、後ほど言葉を費やしましょう。

 ロシアへのビジネス、というトピックもこれから気になるものがあれば取り上げようと思います。

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posted by Itta Tojiki at 22:54| Comment(0) | ロシア・ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月05日

舞鶴への旅A―抑留と引揚

 終戦の後に、多くの日本兵がソ連の捕虜になり、過酷な労働を強いられていたことは、日露関係史において特筆すべきことです。諸説ありますが、約65万人の日本兵が抑留され、1947年になってから、はじめて捕虜の日本への帰国が許されました。日ソ共同宣言がなされる1956年までにおよそ47万人が引き揚げてきたのでした。
 
 この引き揚げの際に、帰国者を乗せた船をつけた港が、舞鶴でした。現在、舞鶴市には「引揚記念館」なるものがあります。当然、先日僕も足を運びました。

 「赤れんが博物館」を見終わった後に、そこから6キロ先にある「舞鶴引揚記念館」を目指しました。
 ――歩いて行こう。
 そう思ってしまうのは、向こう見ずな僕の悪いクセです。天候が落ち着いていたことと、ゆっくりと舞鶴の海を眺めたいな、という考えがそうさせたわけですが、認識が甘かった。強風域にかかっていた場所、とりわけ海沿いなのですから風が吹くのは当たり前であって、なおかつ雨が降るのも同様です。雨風に打たれながら、6キロの道のり、しかも少し山になっている道を地道に歩いていったのでした。

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 到着。記念館は、ほぼ山の中で、周囲にこれといった建物は見当たりませんでした。駐車場には、ほとんど車はなく、客はまたしても僕ひとりでした。雨に濡れて重くなったジーンズを引きずりながら、ゆっくりと観覧をはじめました。

 当時の新聞、映像資料が並べられ、それが「引揚」がどういうことなのかを説明します。加えて、引揚者の所持品や抑留中の生活がいかに厳しいものだったかを物語る再現資料などが展示されていました。日記、ロシア語の辞書、鉛筆、シガレットケース、抑留者の唯一の食事だった、黒パンにカーシャ(お湯に麦の実を浮かべたもの)の模型。ときおりロシア語で書かれた所持品の数々は、抑留および引揚が日露の関係において実際に行われたものだ、ということを強く説得するのでした。

 所持品の中で、特に気にかかったのは、抑留者たちの日記と手紙でした。
 とある一人の日記に、「寒い、寒い……痛い……」「いつになったら帰られるのか……」などの悲痛さと悔しさを認めたときには、その生々しさを感じざるを得ませんでした。
 また、日本の家族あてへの手紙が展示されていたのですが、日本への手紙は当然のごとく検閲が入っていたといいます。厳しい労働を強いられていることや、極寒の地にいることなどは書くことができず、さらにはロシア人の検閲官が漢字に慣れていないことから、ほとんどの手紙がカタカナで記されていました。一通の抑留者から家族への手紙に「ソ連当局の手厚い……」という一文を見た際には、何ともいえない悲愴さを覚えました。

 ソ連が日本人を抑留し、強制労働を行わせたことは、ポツダム宣言にも反することであり、「国家的な犯罪」だとされます。確かに、この一連の出来事は、日露関係において暗い陰を落としています。現在の年配の方と、自分ら若い世代のロシアへ対する印象の違いなどは、まさしくここからきていると思われます。
 実際に苦しい思いをされた方々にとっては、ロシアはまったく憎むべき存在であることは確かでしょう。
 一方で、一緒に働いていたロシア人やロシア庶民とは良好な関係を持った人たちもいたといいます。そこでロシア人の温かさを知り、感動していた方々もいたそうです。(米原万里氏の『魔女の1ダース』に詳しい)

 ただ、記念館では、そのような後者の部分には触れられているような感じはありませんでした。あくまで日本側が被害者であって、ソ連はまったくの悪だ、という論理が一貫しているようでした。もちろん、そのような被害者としての意識に留意することは大事ですが、日露が相互に理解し合って、よりよき関係を築いていこうとするならば、抑留者たちに深く同情し、温かい態度をとっていたロシア人のことも紹介すべきだったでしょう。
 直感的なのですが、ロシア人(特に庶民)が、同情的だったということには、妙に納得がゆくのです。

 舞鶴への旅は、日露関係における負の側面を強く認識させられる一方で、戦後から現在にかけての「戦争」をめぐる考え、について真剣な思考をもたらしました。平和を希求し、というのは疑いようのないことですが、その先を考えるためには、平和が一番だ、ということに思考停止してはならないと思うのです。今回の引揚記念館の例もそうですが、どこかで思考が停滞してしまっているケースが、社会において見受けられるような気がします。

 強風の中、日本海を臨みながら、そんなことを一人、ぶつぶつとつぶやいていたのでした。

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posted by Itta Tojiki at 23:59| Comment(1) | 日本とロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月03日

舞鶴への旅@

 実家から東京に戻るに当たって、岡山、京都に途中下車して小旅行をしていました。
 昨日は、京都の舞鶴市に赴きました。
 
 舞鶴、といえば、日本海を向こうに構える港があり、明治時代の頃からは、海軍の主要拠点であり、現在も自衛隊の基地が設置されています。また中国、韓国、そしてロシアの船が行き来する、国際貿易の主要地点でもあります。

 京都駅から2時間近く列車にゆられ、日本海側に面するこの街に降り立った。駅には、海上自衛隊員が数人たむろしていて、いずれの隊員も僕とそんなに年齢は変わらないように思えた。
 駅から10分ほど歩くと、磯の匂いがただよいだした。目の前にどんよりとした海が広がっていた。僕にとって、初めての日本海との対面だった。すでに台風12号の強風域にかかっていたため、海面はずっと高いようだった。風はわりあい強く、ときどき雨が激しく降りつけた。

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 まず目指したのは、「赤れんが博物館」でした。日本のみならず、世界各国の建造物のレンガが展示されていました。特にレンガマニア、というわけではないのですが、博物館内を歩いていると、ロシアの建物関連のものが多いのに気付きました。モスクワやサンクトペテルブルグの知っている建物のほか、ハバロフスク、ウラジオストークのそれらは、興味をひきます。加えて、旅行で赴いたことのある、リトアニア、ラトヴィアの建築物のコーナーがあり、いずれの建物も実際に歩き回ったものでした。
 知って、感じていたものと、展示という形で再会したのには、妙な嬉しさを感じた次第でした。

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 客は僕ひとりだけだったので、ゆっくりと贅沢な気分で過ごしました。

 博物館の隣には、自衛隊の港があり、船が何隻かとまっているのが確認できました。

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posted by Itta Tojiki at 23:26| Comment(0) | 日本とロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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