2011年10月26日

本当の平和

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 太陽は姿を消し、ほんの明るさをたもっている夕暮れ時。僕は帰宅の途にあった。
 風が肌を打つ。いや、なでる、と言ったほうがいいかもしれない。寒くもなく、暑くもなく、ただただ、やさしい風だった。
 平凡な住宅街には、学校から帰る子どもたちがいた。学生バッグを背負った制服姿に、ネクタイを緩めたスーツ姿。犬と散歩、ジョギング……。ときおり何処からか赤ちゃんの泣き声が、まだ声変わりをしてない甲高い子どもたちの声が、耳に入る。歩いていると、まるで食堂街にやって来たかのように、晩御飯のにおいがする。焼き魚やカレー、その他思い出せないけれど、明らかに家庭のにおいがしていたのだった。
 ああ、何という日常。何という平凡。こんなにも落ち着きをもたらしてくれる日常は、今しかないのかもしれない。平和とは、このことを言うんじゃなかろうか……。

 新聞やテレビをつけると、世の中物騒なことしかない。世界中で人が死んで、その犯人を殺した、金融危機が日本を襲う、景気は悪い、原発事故は解決のメドなく、被災地の復興も進まず、もうお先真っ暗だ……。まるでこの世が終るかのような気をさせる。

 でも、ふと日常の足元を見下ろしたときに、何とも平和が転がっているような気がするのは僕だけだろうか。多くの人たちが、家庭を持ち、食に困ることなく、和やかに時間を過ごしているこの現実。もちろん、個々人には事情があって、僕が平和なりと決めつけることはできないけれど、町の空気は穏やかに感じた。何も家庭だけではない。友人や恋人などと過ごす楽しい時間も、また平和だ。
 この時間がずっと続いてくれればなあ、と思うことがある。これから待ち構えているかもしれない嫌なこと、物騒なこと、危険なことなどとまったく無縁に感じてしまう日常の中の平和。このまま時間よ、止まれ!心のどこかでそういう叫びが聞こえやしないか……。

 しかしながら、時間というのは残酷なもので、そうはさせてくれない。常に現実を突きつけてくる。そして僕らは、それと対峙しなければならないのだ。それでも、日常に感じる平和なひととき、将来、この幸せな時間に疎外感を感じるかもしれないけれど、僕はこれを大事に記憶しておきたい。

 懐かしささえ感じさせる住宅街の雰囲気が、あまりにも報道されている世の中の空気とギャップがあったので、ついつい触発されてしました。僕が思ったことがらは、世間知らずの学生的な意見でしょうが、あえて素直な感想だと思って書き残してみたのでした。

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posted by Itta Tojiki at 22:52| Comment(0) | 今の時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月21日

ロシアへの不信感の要因

 少なくとも僕は、ロシアという国が好きなようです。なぜなら、興味を持って、実際に足を運んで、そしてある程度暮らしてみた結果、いまだにロシアについて学ぶことを止めていないからです。もし嫌いでしたら、こうやってブログも書かないでしょうし、ロシア語の勉強もストップしているでしょうから。

 前置きが長くなりました。ロシアが好きな僕は、どうしても日露関係ということを考えてしまいます。国全体、あるいは国民単位で交流を持ちながら、友好的に付き合っていくことは、非常に理想的なことです。しかしながら、どうやら「日本人」全体を考えたときに、ロシアに対して「寒い、遠い、暗い、危ない」というネガティヴなイメージをいまだに払拭できていないようです。これは今に始まったことではなく、おそらくはソ連時代あたりにも言われていたことではないでしょうか。
 まず、このような不信感がある時点で、なかなか友好的な関係というのは難しいでしょう。一番のネックとしてあるのは、やはり「北方領土」問題です。実は、この問題をめぐっては、完全に議論は平行線をたどり、話し合うのは不毛だとまで言われています。

 日本の言い分ですと、あれはロシア(当時ソ連)が終戦後に攻め入って、強制的に占領したということです。一方、ロシア側としては、あれは戦勝国としては当たり前のことだ、という論理です。
 ロシアの国民全体に、このような考え、あるいは北方領土問題が認知されているかは明らかではありませんが、少なくとも日本人の多くが、ソ連による強制占領だととらえていることは確かだと思われます。これは、やはり戦後からの一貫した政府の主張および、それを支える歴史教育による成果だと考えられます。

 正直言って、北方領土問題については、明確な主張はしたくありません。もしも4島返還だと断固主張すれば、これは非現実的だといわねばなりませんし、逆に部分返還、あるいは返還なしで国交を開くというのであれば、妥協的な態度だと見なされ、「売国奴」というレッテルさえ貼られるでしょう。特に最近の日本社会の雰囲気から感ずるに、妥協的な姿勢というのは受け入れられないでしょう。
 あえて僕がこの領土問題を解決する切り口として考えるならば、それは2国間だけの事情を考慮せずに、太平洋域全体の国際問題としてとらえることです。現在、この地域には日本、ロシア、中国、そしてアメリカが大きなファクターとなっています。中国が伸びている現状を考えるに、ロシアがこの地域に、特に最前線となる北方領土に力を入れることは当然だとされています。 この地域に「万が一、もしも」のことがあった場合、おそらくは不毛な領土問題の論議をしている暇はないはずです。非常事態をもって、かなり現実的な策がとられ、解決するのではないかと思います。この「解決」が4島なのか部分なのか、ゼロなのか、何を意味するかは分かりません。

 このような複雑化した問題を抱える日露関係が、今すぐに良くなるということは政治の場面を見るに、難しいように映ります。このような話し合いの進まなさから、ロシアに対しての不信感が強まることも懸念されます。
 ただ、日露間のことがらは何も政治問題だけではありません。経済、文化など、より国民レベルに根ざした結びつきがあります。政治による不安感が、経済、文化面に対しても消極的な影響を与えているのであれば、その逆に、経済、文化部門から、関係を底上げしてゆくことが可能だと考えます。関係性の良化、を優先させたいのなら、こちらの方面からしか現実的な糸口はないように思えます。
 
 このテーマについては、また書いてゆきます。

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posted by Itta Tojiki at 23:59| Comment(0) | 日本とロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月13日

はじめての露大使館訪問

 先日、とある用事があって、在日ロシア連邦大使館に赴く機会がありました。用件に関しては、じきに明らかになりますので、ここではあえて触れません。とにかくはじめての大使館訪問でしたので、それをリポートしたいと思います。

 地下鉄日比谷線、神谷町駅から地上に出ると、そのまま東京タワー方面を目指しながら桜田通りをなぞるように歩く。500メートルほど進み、右に曲がり外苑東通りに入る。すると、ちらほらとロシア人らしき人たちが歩いていたり、車に乗っていたりするのが目に付いた。
 わりあい急な坂を登りながら、大使館を目指すが、なかなか写真で確認した巨大な建物が見つからない。それもそのはず、周りを日本風の塀で囲まれた敷地内は、坂の下からはまったく見えないのだ。人が3人分くらいの高さの塀が、まるでお城のそれのように、そびえ立っているような印象を与えるのだ。
 坂の上まで来ると、塀にへばりついて、敷地内をぐるりと警備している警察官の姿を認めることができる。警備杖を持ちながら、凛とした立ち姿に普段とは違う雰囲気を感じたのは、これが大使館の近くだったからか……。

 大使館に用事のある学生だから、ということだろうか、まったく警戒されずに敷地内に入った。広々とした空間に、すっとスマートな建物がそびえ立つ。

 中に通された。豪華絢爛な広間で受付を済ませ、2階へ上がった。階段を上っていると、ロシア語が頭から降ってくる。高級な雰囲気の中で、ロシア人が話しているのを見ると、日本国内にも関わらず異空間にいるような気がした。
 
 
 何の目的で行ったのかは、後日詳細にお伝えします。
 何はともあれ、在日ロシア大使館は、思っていた以上に高級で、豪華で……、と月並みな表現がそのまま当てはまる場所でした。本当は写真でも撮ってくればよいのでしょうが、いやはや、難しかったわけです。
 大使館のホームページはあるのですが、内装までは紹介していません。用件のあった場所は、シャンデリアが輝き、奥にはピアノがあって、と完全にヨーロッパの王室のようでした。という、形容で伝わるとは思いませんが、とりあえず報告でした。

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posted by Itta Tojiki at 21:06| Comment(0) | 個人的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月05日

ピアニスト、キーシンの思い出

 いつものように、ニュース記事を眺めていると、久しぶりに聞く名前が飛び込んできました。

40歳の誕生日を迎えるキーシン 今年で日本デビュー25周年!
 1986年10月に初来日してから今年で日本デビュー25周年を迎えるエフゲニー・キーシン。10月10日(月・祝)には40歳の誕生日を迎え、サントリー・ホールでバースデー・コンサートが開催される。節目の年での日本公演を前に10月3日、都内で記者会見が行われた。
 キーシンは2歳のころ、耳で聴いた音楽をピアノで弾き始めるなど、幼い頃から並外れた音楽の才能を現し、初来日した際には“神童”ブームを巻き起こした。この25年間を振り返り、「これまで幸運な芸術活動ができたのは、素晴らしい方たちと仕事をする機会に恵まれたから」と話し、「人間にとって、どういう子供時代を送ったかが重要だと思う。私は良き両親、良い先生に恵まれましたが、“神童”と呼ばれてた人たちが、後々偉大な音楽家になるとは限らない」と自身の周りにいる人たちへの感謝の気持ちを語った。また、日本公演の内容について、協奏曲をやる理由と『グリーグ』を選んだ訳を訊かれると「せっかく(誕生日にからめて)フェスティバルをやってくれるので、皆さんに多彩な面を見て欲しいと思いました。『グリーグ』はロシアでは非常にポピュラーな曲なので、今後取り上げる機会が多くなると思います」と答えた。なお、今年の年末の『ベルリン・フィル』ジルベスターコンサートでもグリーグが演奏され、全世界で放映される。また、『リスト』の魅力についての質問には「音楽の素晴らしさを言葉で説明するのは難しい」としながらも「今回取り上げた『リスト』は、表現性豊かな作品を集めたつもりです」と語り、「ぜひコンサート会場でお目にかかりたいです」と締めた。



 実は、バルト三国のラトビアへ旅行に行ったときに、このキーシンのコンサートを観賞していたのでした。
 世界的に有名なピアニストですので、なかなかロシア国内ではお目にかかれないそうで、ロシア人の先生も、ラッキーだったわね、と驚いていたのが印象的でした。そのときのコンサートでは、すべての楽曲はショパンのもので、完全な独奏でした。

kissin.jpg

 思えば、バルトへ行ったのは去年の11月ごろ。およそ1年前になるのです。何か妙な感慨を思い起こさせる、キーシンのニュースなのでした。

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posted by Itta Tojiki at 23:42| Comment(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月04日

「ユーラシア国家」としてのロシア

 次期大統領にプーチンの返り咲きが濃厚になったことは、ここ最近マスコミを賑わせています。特段ロシアに興味のない人でも、プーチンという名ぐらいは知っていて、今回の大統領をめぐる一連の報道には、何かしらの関心を寄せている人も多かったような気がします。
 さて、プーチン関連のことで、非常に面白い記事が舞いこんできました。

ロシア:プーチン首相 「ユーラシア同盟」創設構想
【モスクワ田中洋之】ロシアのプーチン首相は4日付のイズベスチヤ紙に論文を発表し、20年前に崩壊したソ連の再統合を念頭に、ロシアと周辺諸国による「ユーラシア同盟」の創設構想を打ち出した。確実視される来年5月の大統領復帰に向けた新たな外交政策として注目される。
 プーチン氏は論文で、ロシアとカザフスタン、ベラルーシで構成する関税同盟や、この3国で来年発足する「統一経済圏」など旧ソ連の経済的再統合の動きに触れたうえで、ユーラシア同盟構想は「より高いレベルの統合に進む野心的な目標」と強調。ユーラシア同盟は「ソ連の再建ではない」としつつ、「新たな価値や政治・経済的な土台に基づく緊密な統合は、時代の要請だ」と述べた。
 プーチン氏はまた、旧ソ連に残るインフラなどの遺産を活用するのは「我々の共通の利益」であり、世界的な経済危機の影響を克服し、成長を続けるには、大国ロシアを中心に旧ソ連諸国が再結集すべきだとの考えを示した。
 旧ソ連では、ロシアが主導する関税同盟に中央アジアのキルギス、タジキスタンが加盟を検討。ロシアはウクライナにも加盟を求めており、プーチン氏としては関税同盟を将来的にユーラシア同盟へ発展させたい考えとみられる。
 一方、旧ソ連11カ国でつくる独立国家共同体(CIS)は形骸化が進んでおり、新たな同盟構想を打ち上げることで、ロシアが勢力圏とみなす旧ソ連での求心力を高める狙いもありそうだ。
 プーチン氏は大統領時代の05年、1991年12月のソ連崩壊について「20世紀最大の地政学的な悲劇だ」と発言していた。


 ここでは、「ユーラシア」という言葉がひとつのキーワードになります。ロシアには、「ユーラシア主義」という考え方があって、ヨーロッパでもアジアでもない、「ユーラシア国家」としてまとまってゆくべきだ、という内容を指します。もともと1920年代の、亡命ロシア人の知識人の間で発生した思想潮流なのですが、近年、とりわけソ連崩壊以後、ロシアのアイデンティティの拠り所のひとつとして注目されておりました。現代では、「ネオ・ユーラシア主義」とも呼ばれるそうですが、実はプーチンやメドベージェフは、この主義者だと言われています。

 ユーラシア主義に関しては、以前当ブログでも簡単に紹介したことがありました。

ユーラシア主義の概要

 それを考慮すると、今回の「ユーラシア同盟」の構想は、十分に的を射たものだといえます。また、この同盟において経済的側面が強いことも、ユーラシア主義らしいところがあります。
 ユーラシア主義を論じるに当たり、ユーラシアの「気候帯」に着眼する考え方があります。ロシア国内には、砂漠からツンドラ、ステップ、タイガ、亜熱帯林、広葉樹林まで、さまざまな気候区分がありますが、元来、これらの地域は相互に経済物流の移動を通じて助け合っていたといいます。つまり、相互に依存し合いながら、ユーラシア文化とも言うべくものが形成されていたことを意味し、これによってユーラシア国家の存在意義を強めるわけです。
 経済の結びつきによるユーラシア、という考え方も、もともとのユーラシア主義の観念に沿っているのです。

 ユーラシアとしてのロシア、というのは、ロシアのアイデンティティを支えるひとつの強力な思想です。これは、ヨーロッパや中国に対するひとつの牽制とも受け取れるように思えます。ヨーロッパ寄りでもなく、アジア寄りでもなく、ユーラシアだ!という明確な区分の表明なわけですから。

 少し長くなりましたが、このプーチンの構想は、一言で言えば「筋が通っている」ということでしょうか。現在の中央アジアの状況を考慮しても、実現の可能性が低くなく、地に足着いた策だと言えます。

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posted by Itta Tojiki at 22:33| Comment(0) | ロシアの外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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