2011年11月29日

【帰国報告】

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 昨日、モスクワから帰国しました。研修中に行った先々で見たこと聞いたことの報告は、また随時行っていきますが、とにかく言えることは、「行ってよかった」ということ。たった10日近くの滞在でしたが、僕にとっては数ヶ月分の思考や経験、いや日本にいては決して得られないものを感じ取ったと確信しています。

 東京に戻ってきてから1日ほどたちましたが、まだモスクワの余韻は消えません。これはただ単に僕がボケているから、というよりも滞在をはさんでから考え方が変わったためなのかもしれません。
 具体的に何が僕に、そのような深い思索を投じたかというと、滞在中に出会った人たちです。これはロシア人、そして日本人も含めてです。それぞれの外国語レベル、というのは直接的に実力を示しますし、何よりも、それぞれの考え方は刺激的でした。

 僕自身も、ロシア語を学び、ロシアという国とどう向き合っていくのか、というのは日々思うところがありますが、やはり同じようなことをしている人はいるもので、必然的に話は盛り上がります。ただし、気づいたのは、どうやら「向き合い方」の違い、があるということです。これは良し悪しの問題ではなく、おそらくは必要なことだと思います。
 多くの人間が同じ一方面からロシアを向き合っても、それは一方面だけの結果しか生まず、面白みがない。一方、あらゆる人間があらゆる方向からロシアという国を視れば、多様な結果が出て、それらの結果を組み合わせることによってより総合的なロシアへの見方が形成されるのではないか、と感じたしだいでした。
 そして、今回会ったような様々な人たちの考え方は、ぜひ総合して考えたいなと思うわけでした。

 
 留学していた7ヶ月間、僕はほんとうにモスクワという街に育てられました。そして今回もまたモスクワにひとつ成長させてもらったような気がします。
 たった10日間でしたが、プログラムのことだけではなく、しっかりモスクワを観察した僕の「眼」の報告もまたやっていきたと思います。

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posted by Itta Tojiki at 18:05| Comment(0) | モスクワ滞在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月25日

【モスクワ滞在途中経過】

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 更新が途絶え気味ですが、なかなか一日の出来事を網羅的に記述する時間が取れないでいます。いずれ完全版を公開していきますので、ただいまのところはお待ちください。

 このプログラムについてですが、留学など、普段の生活をしていては決して踏み入ることのできない公の場を見ることというのは、たいへん有益です。意見交換などを通じて初めて知ったり、驚いたりする点は少なくありません。実に新鮮なモスクワ滞在なのです。詳しい驚きや発見については、また後日まとまった形で書いていきます。

 また、プログラムに参加している学生との出会い、というのもまた興味深く感じています。多くの人は初めて会う人ですが、中には共通の知人を持つ人もいて、ここに「ロシアに興味を持つ集団」の世間の狭さが垣間見えます。
 2日目から毎日お酒を買い込み、夜中までゆっくりと語りあうなど、日に日に親交も深まり、同世代間の意見交換も活発です。

 こんなにも有意義な日々は久しぶりなのかもしれません。本当にモスクワは僕に成長をもたらせてくれる刺激的な街だと、実感するしだいです。

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posted by Itta Tojiki at 13:41| Comment(2) | モスクワ滞在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月22日

【モスクワ滞在3日目】

 朝6時過ぎに起床。シャワーを浴びて、ブログを更新し、朝食をとる。9時半にはロビーに集合し、行き先へと向かう。この日は、リア・ノーボスチ(通信社)、Russia Today(外国語テレビ)、議会および下院議員との意見交換、という予定だった。

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【リア・ノーボスチ通信社】
 前の日に歩いていたパルク・クリトゥーリ駅の近くにオフィスがある。仕事場の見学がメインで、ところどころで各部署の人のお話を聞く、というコースだった。
 この通信社についての歴史を説明された後に、外国語での報道を担当する部署へと案内された。英語、中国語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、アラビア語など、数ある言語のセクションがあったが、日本語のそれはなかった。担当者は、日本語版サイトの翻訳をやっているのはたった一人だから、限界があるし、情報も限られてくる、とのこと。僕もたまに利用するが、彼のおっしゃる通りである。今後、正式に日本語部門ができるのかといえば、それは分からない、という。大きな理由は、語学に堪能な人材がなかなか見つからないからだそうだ。
 

 外信部でのお話はたいへん興味深かった。とりわけ日本の情報を担当する人のお話を聞く機会があったので、いくつか示唆的な事がらをとりあげたい。ちなみに担当者は、日本での就労経験もある人だった。
 リア・ノーボスチ通信社は、共同通信と良好な関係があって、そのほか朝日や読売などと協力している。ここで、ロシア側から見た日本のマスコミへの印象、あるいは日本そのものに対する印象を聞くことができた。

 日本には5つの新聞があるけれども、実際どの記事も同じようにしか見えない。おそらく「みんなに、分かりやすく」ということを念頭においてあるからだろうが、まるで機械の説明書みたいだ。ただ、自分の意見を前面に押し出すロシアの報道と比べると、日本のようなかっちりとした報道には長所も感じられるとのこと。
 また多くのロシア人は日本に対しては「富士山、桜、侍」など数十年前のイメージを持っており、若い世代はアニメや漫画を通じて日本を感じている、と。これがある意味でのステレオタイプを呼び込んでいて、また日本も然りだ、とのこと。つまり両国とも、固定観念でもって相手の国を見ようとしている、ということだ。
 そのほかについても、少しだけ言及したい。
 ――日本の記者クラブについて。
 こうやってまとまって、何かを内々に済ませようとするのは、まったく日本人らしいから、特に問題視しているわけではない
 ――ロシアの報道の自由について
 これはよくある質問で、深いものだが、果たして日本にも報道の自由というのはあるだろうか。小泉政権時代に、どこの新聞が「小泉の馬鹿野郎!」と書いたというのか。ロシアでは、こういうケースはよくある。またおのおのの記者は、自由に自己の主張を織り交ぜているので、自由という土壌はあるんじゃないか。画一的な報道の日本のほうが自由がないように感じられる。ロシアには報道の自由がない、といわれるのはとても残念なこと。

 今回は、聞いたことの報告という形をとっているので、このことを受けての考察はまた後日、書いていきたいと思う。

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【Russia Today】
 次にRussia Todayというテレビ局。ノーボスチ通信社の建物に隣接してスタジオ・オフィスがある。まずは、例のように担当者から簡単な説明があった。Russia Todayは、外国語を通じての国営衛星テレビ局。現在、英語、アラビア語、スペイン語での報道を行っている。国営、ということで政府からお金をもらっているが、これまで報道についての要請や命令を受けたことは一切ないとのこと。もっとも、メドベージェフやプーチンが、外国語で報道を見ても、ほとんど分からないだろう、と。また今後1年で、ロシア語、中国語での報道を始める予定がある。日本語はというと、先の二ヶ国語の後についで、ドイツ語の後に日本語、という優先順位になるという。
 ここでは、多くのネイティブ・スピーカー(ロシア人からしたら外国人)が働いていた。各言語の部署に行くと、アメリカ、イギリス、アラブ系の人をたくさん目にすることができた。こうやって外国人が多い理由のひとつに、給与の高さがあるという。月々12万ルーブル(30〜35万ほど)ぐらいはあるそうだ。
 また、ひとつ興味深いのに、アラビア語での報道があった。ロシアでは、高いアラビア語教育があり、歴史的に積み上げられたものだという。また、文語と口語のあるアラビア語においては、文語を採用しているとのこと。これは方言などが多様な口語を用いると、ある国では普通であっても、とある国では悪口になるなどの、アラブ諸国への配慮のためだという。

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【ロシア議会下院】
 世界史で出てきたかもしれないが、ロシアの議会「ドゥーマ」、である。まず入場するのに、いったん通行証を受け取ってから、手荷物検査、パスポート提示と経なければならなかった。
 予定変更もあって、情報政策委員会の若手議員の人との意見交換会は、1時間に限られた。質疑応答というスタンスが基本で、話題に統一性はなかったので、知りえた情報、あるいは議員の発言を箇条書きにまとまることにする。
・議員がツイッターで、日本の学生と交流する旨をつぶやき、何を話すべきかと問うたところ、「北方領土」「フクシマ」というキーワードが出てきた。
・最近、サイバーテロが頻発しているが、ロシア政府の対応としては、今後5年のうちにネット上における法整備を行う予定があるとのこと
・今後、病院のカルテ管理など行政システムにネット利用を導入する予定があるが、ロシアの広い領土を考えると、高速的な普及は難しい部分があるとのこと。
・ユーラシア共同体について。ロシアは、旧ソ連諸国において、カザフスタン、ベラルーシを除いたほかの国々は、この計画に参加しなければ、今後の発展が厳しいだろう。通貨もルーブルと統一することで、交流も深める。EUように「拡大」していくようなものではなく、コンセプトとしては、ソ連崩壊によって失ったものの「回復」を置いている。
・ロシアは現在の「資源国家」という枠組みから「技術国」としての面も強めたい意向がある。

 その後に、議会の歴史についての講義があり、ここを後にした。

 帰宅に当たっては、バス送迎だったわけだが、地下鉄で30分ほどの道のりを2時間ようするはめになった。こういう渋滞の問題の実感、という意味では興味深い体験だった。


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posted by Itta Tojiki at 14:37| Comment(0) | モスクワ滞在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月21日

【モスクワ滞在2日目】再会

 モスクワ時間6時起床。時差の関係もあるだろうが、やはり早朝の目覚めは気持ちがよい。もっとも、モスクワはまだ真っ暗で、街はまだ起きていなかった。モスクワについてから、まだ何も食べていなかった僕は、猛烈な空腹におそわれた。さっさとシャワーを浴び、ホテル周りを歩き回るが、開いているお店がない。仕方がないので、ロビーに戻り、警備員の人に聞いてみると、近くに小さなのがあるよ、と道を教えられ、何とか食べものにありつけた。お店には、これまた「なつかしい」商品ばかり並んでいて、妙な安堵感を感じた。

 ホテル周りを歩いていると、向こうにスターリン様式の巨大な建物が臨んでいることに気がついた。そう、モスクワ大学である。僕の学んだ場であり、何よりも住んでいた場所である。早朝の薄暗さの中、ライトアップされている立ち姿は、僕の記憶を一気にかきたてた。
 友人たちとの予定の時刻まで、わりあい暇があったので、モスクワ大学周りを歩くことにした。ホテルのある駅から2駅なので、ずいぶんと近いし、何よりも記憶をたどりたいという欲求は強かった。
 駅に降立つと、もう場所が手に取るように分かる。目に映る風景という風景は、まったく見慣れたもので、かつての日常のように、僕は大学へと足を進めた。日曜ということもあり、人は少なかったが、この通学路をゆっくりゆっくりと歩いた。もう何もかもがなつかしかった。

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 落ち合う約束をしていた友人というのは、モスクワ大学に通っている日本人のことだったので、そのまま大学で再会した。かれこれ8ヶ月ぶりだった。久しぶりの対面に、話が盛り上がりながら、J-FESTのある会場へと向かった。

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 会場はパルク・クリトゥーリという駅から少し歩いたところにある。モスクワ川を横断し、車に埋もれた大通りに沿って歩く道のりは、これまたかつて何度も通ったものだった。

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 フェスタに着くと、去年のようにコスプレをしたロシア人がたくさんいたし、何よりも一般ロシア人の数もすさまじかった。主にアニメやゲームといったものが、フェスタの中心だったが、このような場面に遭遇すると、日本のポップ・カルチャーというのはいまだに根強い人気があるのだと思わされる。

 会場には、ロシア人の友人たちがたくさん来るとのことだったので、会場のどこかで会えるのだろうと気にしていると、見覚えのある顔が目に入った。それは向こう側も同じだったらしく、名前を呼び合うとすい付かれるように抱擁した。東京からのお土産をみんなに渡し、最近どうだとか、特に変わりはないだとか、何でモスクワに来たのかとか、○○は元気か、など脈絡もない話が次から次へと飛び交った。
 こんなにも喜んでくれるなんて思っていた以上だったうえ、何よりもこんなにも友人たちとの再会を喜んでいる自分に驚いた。8ヶ月という間はあったものの、そこにまったくの違和感はなかった。かつてのような日常の延長という感じがするだけだった。本当に、来てよかった。

 プログラムの団体に合流しなければならなかったので、みなに別れを告げ、会場を後にした。今度はいつ来るんだ、と聞かれ、たった半日だけの再会に物足りなさをあらわにした表情をされると、またモスクワに引き寄せられる未来が確定したような気がした。
 ひとり、来た道を戻る。モスクワ川、無数の光った目を向ける渋滞、肌を打つマイナス温度の風、ライトアップされている街のたたずまい、……。このとき、僕を構成している「軸」のうちの何本かが、モスクワにあるんじゃないか、という考えが頭に降ってきた。生まれ故郷、今住んでいる東京、そしてモスクワという「軸」。たった20年の人生だけれども、7ヶ月の付き合いだったモスクワは、僕という人間の中に、深い深い根を下ろしていたのだった。何か漠然としていた感覚が一気に明らかになった瞬間だった。そして、こんなにも自分がモスクワへ愛を持っていることを思い知らされたのだった。


 置いておいた荷物を受けとるために、泊まったホテルへと戻った。この日はスパルタク・モスクワの試合がある日らしく、赤いマフラーを巻いたサポーターが騒いでいたり、当然ながら、大量の警察が動因されたりしていた。これもまた、記憶のたどりだった。
 重いトランクを抱えながら、所定のホテルへと向かった。ロビーでしばらく待っていると、日本人の団体がやってきた。今回の渡航のメインが始まろうとしていた。見覚えのある顔もちらちらとあったので、驚いたわけだが、自分をしっかり持とうという気をもって、この一週間のことを思った。

 目的であるプログラムは、まだ始まったばかりだが、母校への散歩、友人たちとの再会を果たした僕は、もうモスクワに来た甲斐が存分にあったことを確信した。たった一日の再会、というのがまた運命性を引き立てているのだろうが、僕はこの日を忘れない。モスクワの想い出が、8ヶ月前に止まっていた想い出が、またひとつ動き出し、そして刻まれたのだった。

 「ホントに、来てよかったな……。」


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posted by Itta Tojiki at 12:49| Comment(0) | モスクワ滞在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月20日

【モスクワ滞在1日目】到着となつかしさ

 成田空港に着くと、1時間ほど出発が遅れることを知った。それでも搭乗手続きは所定の時間から始まったので、僕はアエロフロート、エコノミークラスの列に加わった。ほどなくして、周りがほとんどロシア人ばかりだということに気づいた。日本のお土産を大量に買い込んでいる彼らのロシア語は、まさに生のそれであって、すでにロシアにいるような錯覚を覚えた。まったくロシアらしいな、と思ったのは、「エクスキューズ・ミー」といいながら列に割り込んでくる集団だった。何か訳があるのだろうと思うかもしれないが、ただの割り込み、である。そしてこれだけで終わるほど彼らの神経は細くなかった。出発ゲートの通過のために並んでいると、またしても同じ集団が割り込んできた。もうこうなったら笑うしかない。
 飛行機に乗り込むまでに、3時間ほどあったが、昼食をとったり、書き物をしたり、あるいは搭乗ゲートの周りに群がっている同乗者であるロシア人を観察するほかなかった。

 搭乗。やはり乗客のほとんどはロシア人で、僕の隣にもロシア人のおじさんが座った。おじさんは仲間たちと一緒に来ているらしく、通路越しに何やら話している風だった。まさか僕がロシア語を理解しているかどうかを知ってか知らずか、おじさん一同は、「日本人が座った!」とか、何やら僕について話題にしているようだった。しばらくして、僕が本を読み始めると、「日本人は読書している!」と割合大きな声を発していた。ただ、決して小ばかにするような感じはなく、珍しさを嬉しがっているようだった。
 機内では、CAさんがたびたび来るが、やはり英語で話しかけてくる。正直言ってロシア語を話したかった僕は妙に不満があったが、まあ仕方のないことだと言い聞かせる。サービスは非常に旺盛で、食事が2回、ドリンクが複数回、あとはアイスクリームも出てきたし、CAさんたちの態度も優しげな印象を受けた。

 行きの飛行機の中で、僕は一冊の本をゆっくりと時間をかけて読み進めた。開高健の『夏の闇』である。ひと時も息の切れない文章は、上空にいる僕を深い思考の海に叩き込んだ。かつての壮絶な戦争経験を終えた主人公は、抜け殻のような生活を送り、性と食に溺れていたが、次第にまた戦場に向かうことになるわけだが、その精神の遍歴が語られる。そして何かを象徴しているかのような、ヒロインの存在も非常に示唆的だった。
 著作とはスケールは異なる上、自分の思考や思惟をさらけ出すほど恥知らずでもないので、詳しくは書かないが、僕は無意識のうちに主人公の精神に、みずからのそれを重ね合わせていたのだった。

 余談が過ぎた。僕は機内では非常にプライベートな時間を過ごしていた。妙な余韻に浸っていると、もうそろそろモスクワが近づいていた。5時間の時差に気分が変になっていたが、もう到着すると思うと、自然と気が起こってくる。
 
 着いた。パスポート・コントロールではまったく並ぶこともなく、難なく終わり、荷物を受け取ると、いよいよ出口である。出ると、うわあと嫌な感じがしたが、同時に、ああモスクワだ、と開き直れた。出た瞬間に、「タクシー?タクシー?」と妙に語尾の上がった声で、柄のよくなさそうなおじさんたちが言うのである。当然僕も声をかけられるわけで、10メートルほどしつこく付きまとわれたが、言葉がわからないふりをして、毅然と突っ返した。モスクワ中心街には、列車で行く予定だったので、駅のはしにある「アエロ・エクスプレス」を目指した。
 列車に乗っているまでは、まだ「空港側」にいることを意味する。つまり、同乗者の多くは旅人であって、まだ「モスクワ」に降り立った気がしないのである。

 列車は、ベラルスカヤ駅に到着した。もう「モスクワ」である。車の喧騒に、妙に薄暗く、どこか危ないんじゃないかと思わせる雰囲気がある。そんなに寒くはなった。そのまま地下鉄に乗り込み、ホテルのあるスパルチーブナヤ駅を目指した。
 街を歩き、地下鉄に乗る、ということは、まさしくモスクワに生きる基本的で、典型的な行動である。今年の3月まで、当たり前にやっていたことだったのだ。それを帰国してから、「緊張感があって、背筋が伸びて」と得意に言っていたのだ。だから、僕はある程度固定化された、そのようなイメージを抱いて、モスクワに乗り込んでいた。だが、思っていた感覚とは異なっていた。もちろん、姿勢は正し、毅然と振舞うが、まず僕の胸にあがってきた感情は、「なつかしさ」だった。
 おばちゃんが楽しそうにおしゃべりをし、若い集団が騒いだり、カップルがあつく愛をはぐくんでいたり、お酒のビンを抱えたおじさん、革ジャンを着た非スラブの人たち……。すべてがすべてがモスクワであり、僕が帰国後に語るような「厳しい」面というのは、見られなかった。どうやら僕は、モスクワという街をひとつのイメージでもってして語っていたのかもしれない。いや、僕にとって、モスクワがすでに「対象」となっていたのだろう。あの時、僕はモスクワ住民であって、少なからず「当事者」の立場にあった。その感覚は、東京の空気にしだいにかき消されていた。まあ、仕方のないことだが……。
 僕をおそった「なつかしさ」とは、まさしくこの「当事者」としての気持ちの回帰だったのだろう。僕は、身体でモスクワを感じていたのかもしれない。

 ホテルについて、チェックインを済ませると、思ったよりフライトの疲れに体がこたえていた。ベッドに溶け込むように、ぐっすりと眠った。

 「ただいま、モスクワ……」


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posted by Itta Tojiki at 13:39| Comment(0) | モスクワ滞在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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