2011年09月05日

舞鶴への旅A―抑留と引揚

 終戦の後に、多くの日本兵がソ連の捕虜になり、過酷な労働を強いられていたことは、日露関係史において特筆すべきことです。諸説ありますが、約65万人の日本兵が抑留され、1947年になってから、はじめて捕虜の日本への帰国が許されました。日ソ共同宣言がなされる1956年までにおよそ47万人が引き揚げてきたのでした。
 
 この引き揚げの際に、帰国者を乗せた船をつけた港が、舞鶴でした。現在、舞鶴市には「引揚記念館」なるものがあります。当然、先日僕も足を運びました。

 「赤れんが博物館」を見終わった後に、そこから6キロ先にある「舞鶴引揚記念館」を目指しました。
 ――歩いて行こう。
 そう思ってしまうのは、向こう見ずな僕の悪いクセです。天候が落ち着いていたことと、ゆっくりと舞鶴の海を眺めたいな、という考えがそうさせたわけですが、認識が甘かった。強風域にかかっていた場所、とりわけ海沿いなのですから風が吹くのは当たり前であって、なおかつ雨が降るのも同様です。雨風に打たれながら、6キロの道のり、しかも少し山になっている道を地道に歩いていったのでした。

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 到着。記念館は、ほぼ山の中で、周囲にこれといった建物は見当たりませんでした。駐車場には、ほとんど車はなく、客はまたしても僕ひとりでした。雨に濡れて重くなったジーンズを引きずりながら、ゆっくりと観覧をはじめました。

 当時の新聞、映像資料が並べられ、それが「引揚」がどういうことなのかを説明します。加えて、引揚者の所持品や抑留中の生活がいかに厳しいものだったかを物語る再現資料などが展示されていました。日記、ロシア語の辞書、鉛筆、シガレットケース、抑留者の唯一の食事だった、黒パンにカーシャ(お湯に麦の実を浮かべたもの)の模型。ときおりロシア語で書かれた所持品の数々は、抑留および引揚が日露の関係において実際に行われたものだ、ということを強く説得するのでした。

 所持品の中で、特に気にかかったのは、抑留者たちの日記と手紙でした。
 とある一人の日記に、「寒い、寒い……痛い……」「いつになったら帰られるのか……」などの悲痛さと悔しさを認めたときには、その生々しさを感じざるを得ませんでした。
 また、日本の家族あてへの手紙が展示されていたのですが、日本への手紙は当然のごとく検閲が入っていたといいます。厳しい労働を強いられていることや、極寒の地にいることなどは書くことができず、さらにはロシア人の検閲官が漢字に慣れていないことから、ほとんどの手紙がカタカナで記されていました。一通の抑留者から家族への手紙に「ソ連当局の手厚い……」という一文を見た際には、何ともいえない悲愴さを覚えました。

 ソ連が日本人を抑留し、強制労働を行わせたことは、ポツダム宣言にも反することであり、「国家的な犯罪」だとされます。確かに、この一連の出来事は、日露関係において暗い陰を落としています。現在の年配の方と、自分ら若い世代のロシアへ対する印象の違いなどは、まさしくここからきていると思われます。
 実際に苦しい思いをされた方々にとっては、ロシアはまったく憎むべき存在であることは確かでしょう。
 一方で、一緒に働いていたロシア人やロシア庶民とは良好な関係を持った人たちもいたといいます。そこでロシア人の温かさを知り、感動していた方々もいたそうです。(米原万里氏の『魔女の1ダース』に詳しい)

 ただ、記念館では、そのような後者の部分には触れられているような感じはありませんでした。あくまで日本側が被害者であって、ソ連はまったくの悪だ、という論理が一貫しているようでした。もちろん、そのような被害者としての意識に留意することは大事ですが、日露が相互に理解し合って、よりよき関係を築いていこうとするならば、抑留者たちに深く同情し、温かい態度をとっていたロシア人のことも紹介すべきだったでしょう。
 直感的なのですが、ロシア人(特に庶民)が、同情的だったということには、妙に納得がゆくのです。

 舞鶴への旅は、日露関係における負の側面を強く認識させられる一方で、戦後から現在にかけての「戦争」をめぐる考え、について真剣な思考をもたらしました。平和を希求し、というのは疑いようのないことですが、その先を考えるためには、平和が一番だ、ということに思考停止してはならないと思うのです。今回の引揚記念館の例もそうですが、どこかで思考が停滞してしまっているケースが、社会において見受けられるような気がします。

 強風の中、日本海を臨みながら、そんなことを一人、ぶつぶつとつぶやいていたのでした。

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posted by Itta Tojiki at 23:59| Comment(1) | 日本とロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして。
私は、テレビの制作をしておりますパオネットワークの工藤と申します。
「ソ連崩壊20周年」に際して、番組企画を考えておりまして、情報収集しておりました。そこでこのブログに辿りつきました。よろしければ少々お話したいのですが、メール等、頂けませんでしょうか。
どうぞよろしくお願い致します。

パオネットワーク
工藤
Posted by 工藤 at 2011年09月20日 11:58
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