2011年10月21日

ロシアへの不信感の要因

 少なくとも僕は、ロシアという国が好きなようです。なぜなら、興味を持って、実際に足を運んで、そしてある程度暮らしてみた結果、いまだにロシアについて学ぶことを止めていないからです。もし嫌いでしたら、こうやってブログも書かないでしょうし、ロシア語の勉強もストップしているでしょうから。

 前置きが長くなりました。ロシアが好きな僕は、どうしても日露関係ということを考えてしまいます。国全体、あるいは国民単位で交流を持ちながら、友好的に付き合っていくことは、非常に理想的なことです。しかしながら、どうやら「日本人」全体を考えたときに、ロシアに対して「寒い、遠い、暗い、危ない」というネガティヴなイメージをいまだに払拭できていないようです。これは今に始まったことではなく、おそらくはソ連時代あたりにも言われていたことではないでしょうか。
 まず、このような不信感がある時点で、なかなか友好的な関係というのは難しいでしょう。一番のネックとしてあるのは、やはり「北方領土」問題です。実は、この問題をめぐっては、完全に議論は平行線をたどり、話し合うのは不毛だとまで言われています。

 日本の言い分ですと、あれはロシア(当時ソ連)が終戦後に攻め入って、強制的に占領したということです。一方、ロシア側としては、あれは戦勝国としては当たり前のことだ、という論理です。
 ロシアの国民全体に、このような考え、あるいは北方領土問題が認知されているかは明らかではありませんが、少なくとも日本人の多くが、ソ連による強制占領だととらえていることは確かだと思われます。これは、やはり戦後からの一貫した政府の主張および、それを支える歴史教育による成果だと考えられます。

 正直言って、北方領土問題については、明確な主張はしたくありません。もしも4島返還だと断固主張すれば、これは非現実的だといわねばなりませんし、逆に部分返還、あるいは返還なしで国交を開くというのであれば、妥協的な態度だと見なされ、「売国奴」というレッテルさえ貼られるでしょう。特に最近の日本社会の雰囲気から感ずるに、妥協的な姿勢というのは受け入れられないでしょう。
 あえて僕がこの領土問題を解決する切り口として考えるならば、それは2国間だけの事情を考慮せずに、太平洋域全体の国際問題としてとらえることです。現在、この地域には日本、ロシア、中国、そしてアメリカが大きなファクターとなっています。中国が伸びている現状を考えるに、ロシアがこの地域に、特に最前線となる北方領土に力を入れることは当然だとされています。 この地域に「万が一、もしも」のことがあった場合、おそらくは不毛な領土問題の論議をしている暇はないはずです。非常事態をもって、かなり現実的な策がとられ、解決するのではないかと思います。この「解決」が4島なのか部分なのか、ゼロなのか、何を意味するかは分かりません。

 このような複雑化した問題を抱える日露関係が、今すぐに良くなるということは政治の場面を見るに、難しいように映ります。このような話し合いの進まなさから、ロシアに対しての不信感が強まることも懸念されます。
 ただ、日露間のことがらは何も政治問題だけではありません。経済、文化など、より国民レベルに根ざした結びつきがあります。政治による不安感が、経済、文化面に対しても消極的な影響を与えているのであれば、その逆に、経済、文化部門から、関係を底上げしてゆくことが可能だと考えます。関係性の良化、を優先させたいのなら、こちらの方面からしか現実的な糸口はないように思えます。
 
 このテーマについては、また書いてゆきます。

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2011年09月05日

舞鶴への旅A―抑留と引揚

 終戦の後に、多くの日本兵がソ連の捕虜になり、過酷な労働を強いられていたことは、日露関係史において特筆すべきことです。諸説ありますが、約65万人の日本兵が抑留され、1947年になってから、はじめて捕虜の日本への帰国が許されました。日ソ共同宣言がなされる1956年までにおよそ47万人が引き揚げてきたのでした。
 
 この引き揚げの際に、帰国者を乗せた船をつけた港が、舞鶴でした。現在、舞鶴市には「引揚記念館」なるものがあります。当然、先日僕も足を運びました。

 「赤れんが博物館」を見終わった後に、そこから6キロ先にある「舞鶴引揚記念館」を目指しました。
 ――歩いて行こう。
 そう思ってしまうのは、向こう見ずな僕の悪いクセです。天候が落ち着いていたことと、ゆっくりと舞鶴の海を眺めたいな、という考えがそうさせたわけですが、認識が甘かった。強風域にかかっていた場所、とりわけ海沿いなのですから風が吹くのは当たり前であって、なおかつ雨が降るのも同様です。雨風に打たれながら、6キロの道のり、しかも少し山になっている道を地道に歩いていったのでした。

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 到着。記念館は、ほぼ山の中で、周囲にこれといった建物は見当たりませんでした。駐車場には、ほとんど車はなく、客はまたしても僕ひとりでした。雨に濡れて重くなったジーンズを引きずりながら、ゆっくりと観覧をはじめました。

 当時の新聞、映像資料が並べられ、それが「引揚」がどういうことなのかを説明します。加えて、引揚者の所持品や抑留中の生活がいかに厳しいものだったかを物語る再現資料などが展示されていました。日記、ロシア語の辞書、鉛筆、シガレットケース、抑留者の唯一の食事だった、黒パンにカーシャ(お湯に麦の実を浮かべたもの)の模型。ときおりロシア語で書かれた所持品の数々は、抑留および引揚が日露の関係において実際に行われたものだ、ということを強く説得するのでした。

 所持品の中で、特に気にかかったのは、抑留者たちの日記と手紙でした。
 とある一人の日記に、「寒い、寒い……痛い……」「いつになったら帰られるのか……」などの悲痛さと悔しさを認めたときには、その生々しさを感じざるを得ませんでした。
 また、日本の家族あてへの手紙が展示されていたのですが、日本への手紙は当然のごとく検閲が入っていたといいます。厳しい労働を強いられていることや、極寒の地にいることなどは書くことができず、さらにはロシア人の検閲官が漢字に慣れていないことから、ほとんどの手紙がカタカナで記されていました。一通の抑留者から家族への手紙に「ソ連当局の手厚い……」という一文を見た際には、何ともいえない悲愴さを覚えました。

 ソ連が日本人を抑留し、強制労働を行わせたことは、ポツダム宣言にも反することであり、「国家的な犯罪」だとされます。確かに、この一連の出来事は、日露関係において暗い陰を落としています。現在の年配の方と、自分ら若い世代のロシアへ対する印象の違いなどは、まさしくここからきていると思われます。
 実際に苦しい思いをされた方々にとっては、ロシアはまったく憎むべき存在であることは確かでしょう。
 一方で、一緒に働いていたロシア人やロシア庶民とは良好な関係を持った人たちもいたといいます。そこでロシア人の温かさを知り、感動していた方々もいたそうです。(米原万里氏の『魔女の1ダース』に詳しい)

 ただ、記念館では、そのような後者の部分には触れられているような感じはありませんでした。あくまで日本側が被害者であって、ソ連はまったくの悪だ、という論理が一貫しているようでした。もちろん、そのような被害者としての意識に留意することは大事ですが、日露が相互に理解し合って、よりよき関係を築いていこうとするならば、抑留者たちに深く同情し、温かい態度をとっていたロシア人のことも紹介すべきだったでしょう。
 直感的なのですが、ロシア人(特に庶民)が、同情的だったということには、妙に納得がゆくのです。

 舞鶴への旅は、日露関係における負の側面を強く認識させられる一方で、戦後から現在にかけての「戦争」をめぐる考え、について真剣な思考をもたらしました。平和を希求し、というのは疑いようのないことですが、その先を考えるためには、平和が一番だ、ということに思考停止してはならないと思うのです。今回の引揚記念館の例もそうですが、どこかで思考が停滞してしまっているケースが、社会において見受けられるような気がします。

 強風の中、日本海を臨みながら、そんなことを一人、ぶつぶつとつぶやいていたのでした。

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2011年09月03日

舞鶴への旅@

 実家から東京に戻るに当たって、岡山、京都に途中下車して小旅行をしていました。
 昨日は、京都の舞鶴市に赴きました。
 
 舞鶴、といえば、日本海を向こうに構える港があり、明治時代の頃からは、海軍の主要拠点であり、現在も自衛隊の基地が設置されています。また中国、韓国、そしてロシアの船が行き来する、国際貿易の主要地点でもあります。

 京都駅から2時間近く列車にゆられ、日本海側に面するこの街に降り立った。駅には、海上自衛隊員が数人たむろしていて、いずれの隊員も僕とそんなに年齢は変わらないように思えた。
 駅から10分ほど歩くと、磯の匂いがただよいだした。目の前にどんよりとした海が広がっていた。僕にとって、初めての日本海との対面だった。すでに台風12号の強風域にかかっていたため、海面はずっと高いようだった。風はわりあい強く、ときどき雨が激しく降りつけた。

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 まず目指したのは、「赤れんが博物館」でした。日本のみならず、世界各国の建造物のレンガが展示されていました。特にレンガマニア、というわけではないのですが、博物館内を歩いていると、ロシアの建物関連のものが多いのに気付きました。モスクワやサンクトペテルブルグの知っている建物のほか、ハバロフスク、ウラジオストークのそれらは、興味をひきます。加えて、旅行で赴いたことのある、リトアニア、ラトヴィアの建築物のコーナーがあり、いずれの建物も実際に歩き回ったものでした。
 知って、感じていたものと、展示という形で再会したのには、妙な嬉しさを感じた次第でした。

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 客は僕ひとりだけだったので、ゆっくりと贅沢な気分で過ごしました。

 博物館の隣には、自衛隊の港があり、船が何隻かとまっているのが確認できました。

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2011年06月14日

電車内での通話について―モスクワと東京

 この前、電車に乗っていたときのこと。ちょうど着信があったので、思わず応答してしまった。「はい」と声を出した瞬間に、周りからチラリと視線を感じ、しまったな、と思ったときには、タイミングよく、目的駅に到着した。
 そうだ、電車の中での通話は控えないといけなかったんだ……、と改めて「常識」を思い出すしだいだった。

 なぜ僕がこんな「非常識」をやらかしてしまったかと言うと、モスクワでは乗車中の通話が当たり前だったからであった。こんなことを言うと、「うわあ、外国にカブレちゃって……」なんて非難を受けかねないが、弁解させてほしい……

 カンの良い人は気付くかもしれない。あれ、モスクワは地下鉄なのに電波が入るのか、と。これが入るから驚きだ。また、地下鉄の車両の走り方は、かなり騒がしい。窓まで開けられてしまうと、隣同士の会話も声を張らないといけない状態だ。だから、通話の声などもまったく気にならないのかもしれない。それでも、乗車中だから着信にすぐに出られないという不便さがないのは良い。周囲もまったく迷惑な顔をしないから、気軽に電話に出ることができる。こういう状況をずっと続けていたものだから、ついつい出ちゃった、というのは言い訳にならないだろうか……。

 それにしても、一人の人の通話の声と、二人あるいは複数人の会話の声とでは何が違うのだろう。もっとも、多くの車両の中が静かなのは分かるけれども、まったく会話がない車両というのも珍しいだろう。そしたら別に通話も……。うーん、あまり追求すると、日本の「常識人」たちから怒られそうなので、止めておこう……。
 

 今日は、「外国カブレ」な感じでお送りしました(笑)

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2011年05月11日

日露と中国―ウィキリークスの報告より

「日本は露・中の間にくさび打ちたい」 米公電分析 (asahi.com 2011年5月11日17時4分)

 日本外務省は自民党政権末期、米国と協力してロシアのアジア太平洋地域への進出を促すことで、北方領土問題打開の糸口をつかむ戦略を描いていた。ウィキリークスが入手した米外交公電でわかった。急速に力をつける中国への警戒感が、日米ロ3国を結びつける接着剤になると考えたようだ。

 07年6月の在日米大使館の公電は、直前に行われた安倍晋三首相とプーチン大統領の首脳会談の内容とともに、日本の対ロ外交方針について日本外務省幹部から説明された内容を、本国に報告していた。

 外務省幹部は米側に「ロシアがアジア太平洋地域へのより大きな関心を示すようになっている」「日ロ関係を安全保障の文脈で見るようになった」との分析を披露。「日本は、ロシアの地域への統合を助ける用意がある」と伝えた。

 ロシアの姿勢がアジア重視に変化してきた理由として「中国の発展に対する懸念がある」と指摘。その上で、「建設的な形でロシアを地域に統合させることに失敗すれば、ロシアが中国と戦略的関係を深める危険が高まる」という危機感を表明し、「米国が一定の役割を果たせると日本政府が信じていることを、ワシントンに伝えて欲しい」と助力を求めていた。

 この幹部は、端的に「日本は、ロシアと中国の間にくさびを打ち込みたい」とも語っていた。この当時、中国の急速な発展を背景に、知的財産権や人民元レートを巡って米中間がぎくしゃくしていた。

 日本外務省の狙いは、日米にロシアも加えた3国で、中国への懸念に取り組む形を作ることにあったと見られる。そうすれば、地域の不安定要因となっている北方領土問題は3国が協力して解決しなければならない課題として位置づけられ、米国からの支援を得やすくなると考えたようだ。

 2年後の09年7月の公電によると、外務省の別所浩郎総合外交政策局長が、来日中のキャンベル米国務次官補と昼食を共にした際に北方領土交渉が「行き詰まっている」と明かしたうえで「日米ロ3国による協議が有用だ」と伝えていた。

 ただ、米側が前向きに応じたとする公電は残っていない。キャンベル氏は直接答えず、「ロシアと日本の和解が不可欠だ」と指摘するにとどめていた。

 朝日新聞がウィキリークスから提供を受けた日本関係の米外交公電は10年2月まで。一連の公電からは、09年9月の政権交代後の日本の対ロ外交を米側がどう見ていたかは不明だ。(文中の肩書は当時)

 日本政府は、ウィキリークス提供の文書について「確認もコメントもしない」としている。


 「確認もコメントもしない」とありますが、アジア太平洋の安全保障、とりわけ中国の脅威への対処という観点は、間違っていないと思います。

 以前も引用したことがあるのですが、ロシアが北方領土問題を、ただの日露間の問題としてだけではなく、中国を含めた極東の安全保障という側面も考えているということとも繋がりがあります。

 この問題に関しては、もはや二国間の利害関係というより、全体の安全保障という発想が重視され、果ては解決に向かうのではないか、とも思っています。

 単なる記事の紹介になってしまいました。取り急ぎ失礼します。

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posted by Itta Tojiki at 23:16| Comment(0) | 日本とロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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