2012年01月01日

【元旦】国際社会からの日本:ロシア語Googleで「日本」で検索した

きんかん.jpg

 あけましておめでとうございます。ただいま、実家の宮崎にて、2年ぶりの正月を迎えております。今年もよろしくお願いいたします。

 さて、新年ということで、日本やロシアも含め、各マスコミも何やら騒がしく感じますが、うーん何を取り上げようと思案しているときに、GOOGLEのロシア語版で「日本(Япония)」というキーワードを検索欄に打ち込みました。

 ページのトップには予想していた通り、新年についてのニュースが2,3件ヒットしましたが、すぐ下へとスライドした際に、「外交情勢」としての日本が浮かび上がってくるのが分かりました。以下、そのトピックを取り上げてみます。

・日中貿易にて、円・元での決済を促進すること
・インドとの「グローバル・パートナーシップ」の強化を表明したこと
・日本が武器輸出を緩和したこと


 もっとも、ロシアにとって日本は「外国」であるわけで、その日本についての情報が国際情勢の文脈で語られるのは当然ではあります。ですが、外国語で検索をかけてみることで、国際情勢から見た「日本」というのを意識する必要もあると思います。日本の報道だと、日本のシステムや文化に浸かった情報の砂漠に埋もれてしまい、ある種客観視するのが難しくなると思うのです。(この方法がまったく正確な手法だという確信はありませんが、感覚的には近いものがあると考えます)

 正月モードからなかなか姿が見えにくい現在ですが、国際社会としては、年末にニュースになった上記のようなことが注目されているようです。確かに、大きな外交という枠組みから考えれば決して見逃すことのできない事がらです。

 まあ、すいぶんと勝手に「国際社会からの日本」を語ってしまいました。ただ、様々な情報が氾濫する年末年始の状況を、違う形で見たいと考えた結果、こういうところにたどり着きました。

 新年らしくないかもしれませんが、こうやって2012年をスタートいたします。


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posted by Itta Tojiki at 22:32| Comment(2) | 外国からの視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月15日

さりげない紳士的態度―ロシア人に学べ

 ささいなことだったけれども、少し悔やんでいることがある。
 先日の夕方のとき。かなり混みあっている新宿駅で乗り換えをしていたときだった。人ごみの中で、ひときわ大きな荷物を抱えていた若い女性二人が、その運搬に苦心していた。その二人を見たところ、韓国からやって来た人らしかった。荷物は本当に大きく、かなり重そうで、まるで長期滞在にやって来たような感じだった。
 階段のところで、二人で慎重に抱えながら運んでいるのを見て、手伝おう、という気が一瞬僕の中に起こった。ただ夕方ラッシュに巻き込まれ、人がどんどんと流れ歩いているせいか、また約束の時間が近かったこともあってか、一目しただけで通り過ぎてしまった。それから数歩進んだときに、やっぱり手伝おう、とふり向いたときには、またしても人の波が押し寄せてきていて、引き返せるような雰囲気ではなかった。まあ、仕方あるまい、と踵を返して、その日の目的地まで行ったのだったが、いやはや、これがなかなか悔やまれる。
 周りなど気にせず、”May I help? ”とだけ言って、手伝うだけである。やっぱり勇気がないというか、大人ではないな、と反省を促される……。

 こうやって見知らぬ人に手助けをしようという気をより強くさせたのは、留学中の一般のロシア人たちの態度だった。大きな荷物を運んでいようものなら、若いお兄さんをはじめ、気さくに手を貸してくれる人たちが少なくなかった。また、荷物を持ってあげるというほどではないけれど、次に来る人のためにドアを持って待っているとか、道を先に通すなど、ほんのささいな気遣いや親切を教えてくれたのも、一般のロシア人たちだった。正直言って、このような「さりげない紳士的態度」は、かなり感心したものだった。そして、そのような社会で生活していたものだったから、僕も真似しようとして、試みては実践していたつもりだった。

 「さりげない紳士的態度」。これは、日本でも同じように当たり前の気遣いであり、親切でもある。臆することなく実践してゆこうと、改めて思わせる、ひとつの苦い後悔だった。

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posted by Itta Tojiki at 23:29| Comment(0) | 外国からの視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月24日

新たな課題―国際人として生きるため

 最近は、自分の専門研究を云々と言っておりましたが、そのかたわら、日本文学をコツコツと読み進めています。

 以前、以下のような記事を書いたことがありました。日本文学を読んでおくことは、「教養」という面からしても大事だと痛感したときの感想でした。

「おススメの日本文学は?」

 何も、「教養」のため、などというツマラナイ動機で読んでいるわけではなく、なぜ彼らの作品が後世にも受け継がれているのか、彼らの文章とはいかなるものか、という疑問からでした。「物書き」を夢見る人間からしたら、当然の考えだと思っています。もっとも、読んだ結果、それが「教養」となるわけですが……。

 ここ1,2週間は、谷崎潤一郎や三島由紀夫、堀辰雄などに触れたのですが、やはりそれぞれにメンタリティーがあるわけです。読みながら考えこんでいる最中にふと、ああこれらの思考を雄弁に外国人に説明できたらなあ、という思いが出てきました。モスクワにいたときには、文学の話こそすれ、具体的な内容の話や、論理的な哲学の話に入ることは、ほとんどありませんでした。これには、もちろん語学力が足りないということもありますが、それ以前に、それらの思想を語るだけの知識が僕自身になかったのだと思います。

 しっかり知識、教養を身につけ、それを語るだけの語学力を備えた上で、もう一度海外に出たい、と思うことがあります。何か、新しいことを学ぶたびに、そのような思いは強くなります。

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posted by Itta Tojiki at 23:07| Comment(0) | 外国からの視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月17日

セルフで片付けること―各国のマクドナルドの比較

 最近、やたらと外食が多いのですが、どうも牛丼や豚丼ばかりでは飽きてしまうと思い、この日はマクドナルドへ行きました。日本のマクドナルドに行くのは、およそ10ヶ月ぶりだったでしょうか。もっとも、モスクワでは、よくファーストフードを利用する機会があり、マクドナルドも、またそうでした。ただ、そこに興味深い「違い」が感じられたので、少し話したいと思います。

 まず卑近なことですが、飲み物の「Sサイズ」が、向こうのほうが大きいということです。このようなことは、アメリカなどでの例で有名ですが、まあ実際に「欧米サイズ」というのがあるのだな、と思ったしだいでした。

 次が本題です。
 日本では、おそらくほとんどすべての店舗が、食べ終わった後は、セルフで片づけをしなければならないはずです。思えば、旅行へ行ったポーランド、チェコも、そうでした。どうして、その2カ国もそうであるか、というのを覚えているかというと、モスクワはそうではなかったからです。
 モスクワでは、片付ける人が決まっていて、食べ終わったら、テーブルにそのままにしておいても、係りの人が勝手に片付けてくれるのです。そして、特筆すべきは、その仕事に従事をしている人が、ほぼ移民系の人であるということです。一般的に、「ロシア人」とイメージされるスラブ人の人が、その仕事をやっているのは、見たことがありませんでした。(ウクライナ、キエフではそうではありませんでした。片付け係りの人は、スラブ人のウクライナ人でした)

 なぜ、このような「違い」があるのでしょうか。セルフサービスを実施しているのは、おそらくコスト面で、従業員に負担をかけないためというのがあるでしょう。すなわち、ここでは雇用が少ないのです。一方で、わざわざ清掃員という仕事を設けるのは、できるだけ雇用を増やそうとせんがためのものではないでしょうか。一般的に、移民系の人が従事するのは、いわゆる「3K」と呼ばれるものが多く、この清掃員もそれに含まれるはずです。モスクワの場合、このような職業におけるすみわけが顕著な印象があるのですが、これもそのひとつだと思います。かなり憶測が強い表現になりますが、移民のために、わざわざ雇用を設けているという見方をしても、あながち間違いではないのかもしれません。(もっとも、これはモスクワの例であって、普通は、例えばキエフについていえば、単に雇用を増やすためだという見方ができると思います)

 ともあれ、ふと目の前の風景を見たときに、そこには「違い」がありました。これは文化的事情から、というより、社会的背景から来るもののひとつです。案外、このような日常的な「違い」というのは、意識してみると多いのかもしれません。

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posted by Itta Tojiki at 23:59| Comment(0) | 外国からの視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

フレンドリーなサービス!?

 アメリカに行ったことのある友人と、サービスの話になりました。彼の話によると、お店の店員がわりあいフレンドリーな対応をするとのこと。ロシアではどうだった、と聞かれたものだから、しばし考えた。
 思えば、ロシアのサービスといえば、決して褒められたものではないけれども、フレンドリーさ、というものを考えたときは妙に納得がいったりする。例えば、普通のスーパーのレジであっても、出身はどこ?日本?中国?なんて聞かれることも少なくありませんでした。僕の思うところによると、お客と店員との間に、あまり「壁」がないような気がしていました。だから、友人の彼の言った、フレンドリー、と言うのは理解できました。

 その話から飛んで、日本のサービスの話になりました。サービスの素晴らしさは分かるけれども、外国と比べるとなんか堅苦しい感じがするよね、という感覚を共感しました。もっとも、これには厳密に敬語を使う日本語と、特別の言い回し以外、特に敬語が顕著ではない外国語との違いにもよるでしょう。
 
 
 僕がちょうどモスクワから帰ってきたばかりのときに、福岡で買い物をしていました。そのときに、店員さんに話し掛けられたので、ニッコリと微笑んで、軽く言葉を交わしました。その後、その店員さんと話していたのですが、僕が留学から帰ってきたと言うと、妙に納得した表情で、態度が欧米人のようだったと言われました。外国人の多い福岡、天神で働いている方が言ったことなので、それは本当なのでしょう。とうの僕は、そう言われてあまりピンとこなかったのですが……。

 ただニッコリと微笑む、というのも、フレンドリーさのひとつだとすれば、もともと欧米人がフレンドリーな態度を取る人たちなのかもしれません。

 欧米のようなフレンドリーなサービスが良いか、日本式の献身的なものが良いかは判断しかねますが、おおよそ、そのような「違い」は、やはり文化の違いからくるものではないかと思います。先ほど挙げた、言葉の本来的な違いも、また文化の違いなわけですし。

 こうやって、日々、今まで当たり前だった日本のものが照り返されて、新たな視点を生むことがあります。

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posted by Itta Tojiki at 23:59| Comment(0) | 外国からの視点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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