2011年08月09日

中央ヨーロッパの文学

 前期の授業の関係で、「中央ヨーロッパ」について考える機会がありました。「中央ヨーロッパ」というのは、地図上でいえば、ドイツと旧ソ連の間に位置する、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーをはじめ、場合によってはバルト三国、旧ユーゴスラヴィアを含めた地域のことを指します。とりわけこれらの国々を特徴付けるのは、第二次世界大戦後の社会主義政権による統治、および「東欧革命」と称されるその後の体制移行です。

 小国がひしめいたこの地域では、中世の頃から、あらゆる帝国の波に振り回されてきました。ポーランド、チェコ、スロヴァキアなどは、ロシアなどと同じスラヴ民族ですが、宗教はカトリックあるいはプロテスタントが主で、文字もキリル文字ではなく、ローマ字が用いられており、いわゆる「西側」の文化圏に含められるものです。
 しかしながら、第二次世界大戦後を契機に、この地域の多くは社会主義陣営、いわゆる「東側」に位置付けられ、文化的に「西」、政治的に「東」というねじれた状況になってしまいました。

 社会主義陣営に置かれるまでの中央ヨーロッパでは、ナチス・ドイツの勢いがはびこっており、抑圧されていました。そこに、ソ連が攻め込んで、この地を「解放」し、当初、ソ連は受け入れられる存在でありました。こうして社会主義が影響を強めるわけですが、次第に社会主義的なもの以外は廃される状況に、不満が抱かれるようになります。1956年の「ハンガリー動乱」、1968年の「プラハの春」に見られるように、反ソ的な動きがあったわけですが、いずれもソ連の実力の前に屈するしかありませんでした。

 そのような、ある種抑圧された中央ヨーロッパにおいては、この時代、「中央ヨーロッパ文学」ともいうべき独自のものが形成されました。特徴としては、ロシアとの違いを出しながら、西洋を志向する姿勢に見られる両陣営との関係性、小国としての愛国心、民族アイデンティティの主張などが挙げられます。
 代表的な作家として、ノーベル賞作家のミラン・クンデラ(チェコ)、ミロラド・パヴィチ(セルビア)、ゴンブローヴィチ(ポーランド)、など挙げればキリがありません。

 中央ヨーロッパの文学が、あるジャンルとして形成される要因の一つに、それぞれの土地の地理的条件がもたらすという「地詩学(Geopoetika)」の見方があります。
 大きな陣営にねじれた状況に板ばさみにされた、特異な状況から生まれた、独特の文学の種類というわけです。

 と長くなってきましたので、これに関連することは、後々も書いてゆきます。

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posted by Itta Tojiki at 23:59| Comment(0) | 文学より | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月12日

甦るペテルブルグの記憶―『蒼ざめた馬を見よ』より

 1時間ほど時間があったので、大学の図書館へとぶらついた。特に目的もなかったので、わけもなく「日本文学」のコーナーへ足を向けた。帰国してからというものの、日本文学にハマっているせいかもしれないが、そのとき、一人の作家の名前が目に入った。五木寛之、である。五木寛之の全集がびっしりと並べられていたわけだが、そこでかねてから探していたひとつの作品のことを思い出した。『蒼ざめた馬を見よ』である。僕は、迷いなく全集の第一巻を手に取り、一気にその場で読み終えてしまった。
 この作品は、1967年の直木賞受賞作であり、ロシアを舞台にしたものである。五木寛之のもうひとつのロシアに関する小説、『さらばモスクワ愚連隊』は、以前このブログで紹介したこともある

 『蒼ざめた馬を見よ』の舞台は、当時レニングラードと呼ばれていた、現在のサンクト・ペテルブルグ。あらすじに関しては、僕がどうこう言うよりも、こちらのサイトに詳しい。


 物語の内容ももちろん面白かったわけだが、僕の興味をひきつけたのは、ところどころに登場するロシア文学、そしてサンクト・ペテルブルグという街の描写である。
 以前サンクト・ペテルブルグへは旅行として行ったことがあり、中心街を歩き回ったことは、いまだに記憶に新しい。だからこそ、イサク聖堂やネヴァ川、エルミタージュという名詞が作中に登場すると、かなりリアルに風景が思い浮かぶ。さらには、プーシキンの『青銅の騎士』という詩まで挿入されているものだから、めぐり合わせが面白くて仕方がなかった。

青銅の騎士.jpg

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 加えて、同じ全集に掲載されていた『さらばモスクワ愚連隊』にもさっと目を通してみたけれども、舞台がモスクワなだけに、出てくる場所という場所が手に取るように分かる。さらには、以前よりもロシア語の知識が増えていることもあってか、会話のニュアンスもより深く捉えられているようになった気がした。
 
 今回のちょっとした読書は、「本物」を一度見るということがどういうことなのか、改めて考えさせてくれた。もっとも、自分が見てきた残像にばかりに囚われて、想像の幅を狭めるのはよろしくない。ただ、こうやって作品を身近に感じながら読んでいく、ということも読書の楽しみの一つなのかもしれない。ひょっとしたら、思い入れのある作品とは、こうやって自分の中に残っていくのかもしれない。いずれにせよ、嬉しい本との出会いだったということは言うまでもない。

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posted by Itta Tojiki at 23:45| Comment(1) | 文学より | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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